美濃和紙について
和紙とは・・歴史が産み、育てた紙
紙の起源は、5,000年前の古代エジプトの「パピルス」であると言われており、現在の紙の原形となったものは、紀元前2世紀ごろ、中国の漢の時代に発明されたものと考えられています。
日本での紙の基礎を作ったのは、聖徳太子で朝鮮から製紙の方法が渡ってきました。これが日本における最古の記録ですが、それより100年も前に福井県の今立町では紙漉きが行われていたという説があります。現存する、わが国で漉かれ、年代の明らかな最古の紙は、正倉院に伝わる702年(大宝2年)の美濃、筑前、豊前の戸籍用紙です。
明治時代、インクや印刷機、洋紙が流入し、生活様式の変化もあり、和紙は洋紙に実用品としての地位を徐々に奪われた形になりました。現在では、生産量は伝統工芸品として漉かれることがほとんどです。
現在、優美な和紙は美術の分野などではもちろん、耐久性、強靱(きょうじん)性を生かし文化財の修復に使用されるほか、天然素材の地球環境に優しい製品として、日本国内のみならず、世界中から和紙への注目が高まっています。江戸時代以降に海外から入って来た、木材パルプを原料とした機械生産による紙を、和紙と区別して言います。ここでは、和紙と用紙との違いを、歴史背景も絡めて紹介します。
「洋紙は100年、和紙は1000年」
「洋紙は100年、和紙は1000年」という言葉があります。文字通り、和紙と洋紙では紙の耐久性に大きな違いがあります。
木材パルプとインクを使用した洋紙は、多くの薬品を使いほとんどが酸性であるため、100年も経つと黄ばんでボロボロになってしまいます。
しかし、和紙は天然の植物繊維を、漉くことによって繊維を絡ませることができるため、強靭で保存性に富んでいます。日本で漉かれた紙で最も古いものは、正倉院に保管されている、大宝2年(702年)の日付のある美濃、筑前、豊前で作られた戸籍に使われたもので、洋紙は、19世紀中ごろに作られた本の3分の1が、今では補修もできないほど劣化してしまっていたといいます。
見た目の美しさも、大きな違いです。
洋紙では白くするために薬品などを使います。
和紙の中にも化学薬品を使っていて、時間がたつと黄ばむものがありますが、そうでない和紙は逆に時間とともに光線にあたって白くなる性質があります。和紙は長く大事に使うことによって、時間とともに味わいとすっと手になじむ触感が感じられます。手漉きのため一枚一枚いちまい違った持ち味の和紙は、天然素材で地球に優しく、美しい和紙は、世界からも注目されています。
加工しやすく、強靭であるという点でも違います。
洋紙は、低コストで大量生産するために、木材の繊維をすり潰して粉末のようにして使います。
しかし、和紙は繊維をすり潰さず、漉すことでそのまま生かすため、繊維が持つ本来の強靭さを失わず、加工性に富んだものができます。
江戸時代では、洋紙は記録用にすぎませんでしたが、和紙は加工用として、雨傘・提灯・行灯・下駄の泥よけ・着物・食器など、私たちの生活と密着な関係にありました。現代では、国内だけでなく世界中で、美術品や文化遺産の補修など、さまざまな用途で和紙が使われています。
「美濃和紙」1300年の歴史
美濃和紙の紀元は、およそ1300年前、天平9年(737年)ころ。奈良時代の「正倉院文書」の戸籍用紙が美濃和紙であったことが記されています。
和紙の生産に必要なものは、原料である楮、三椏、雁皮がとれること。そして良質の冷たい水が豊富にあることです。美濃は、その二つの条件を満たしており、しかも都にも近かったため、和紙生産地として栄えました。ここでは、美濃の地理と歴史を和紙の生産とともに語ります。
民間でも広く美濃和紙が使われるようになったのは、室町・戦国時代の文明年間(1468~1487年)以後でした。
美濃の守護職土岐氏は製紙を保護奨励し、紙市場を大矢田に開きました。紙市場は月に六回開かれたので、“六斉市”と呼ばれ賑わいました。この紙市によって、近江の枝村商人の手で、京都、大阪、伊勢方面へも運ばれ、美濃の和紙は広く国内に知られることとなります。
大矢田の紙市は、天文9年(1540年)年には上有知(美濃町)に移ってきました。当時戦乱が続いており、上有知(美濃町)より長良川を利用すれば一夜にして交易港である桑名の港に到着できるうえ、運送は便利で危険が少なく安全であったからです。
美濃の守護職土岐氏は製紙を保護奨励し、紙市場を大矢田に開きました。紙市場は月に六回開かれたので、“六斉市”と呼ばれ賑わいました。この紙市によって、近江の枝村商人の手で、京都、大阪、伊勢方面へも運ばれ、美濃の和紙は広く国内に知られることとなります。
大矢田の紙市は、天文9年(1540年)年には上有知(美濃町)に移ってきました。当時戦乱が続いており、上有知(美濃町)より長良川を利用すれば一夜にして交易港である桑名の港に到着できるうえ、運送は便利で危険が少なく安全であったからです。
そして、慶長5年(1600年)、徳川家康からこの地を拝領した金森長近は、長良川畔に小倉山城を築城しました。慶長11年(1606年)ごろには、現在も残る町割が完成します。さらに、現在川湊灯台として知られる「上有知湊」を開きます。上有知湊は、船運による物資集散の拠点として、また、和紙を中心とした経済活動の拠点と成長していきます。金森長近の没後の元和元年(1615年)には、上有知藩領から尾張藩領となります。
こうして、江戸時代には藩の保護や一般需要の増加もあり、美濃和紙は幕府・尾張藩御用紙となっていきました。
こうして、江戸時代には藩の保護や一般需要の増加もあり、美濃和紙は幕府・尾張藩御用紙となっていきました。
明治維新により、それまで紙漉き業に必要だった免許の制限がなくなり、製紙業が急増しました。国内の需要の高まりや海外市場の進出などもあり、美濃は紙と原料の集積地として栄えました。
しかし、濃尾震災(明治24年)、太平洋戦争による物資不足、人材不足などが生産に大きく影響し、陰りを落とすようになっていきました。
そして、大正ころからは機械抄きが導入され、戦後には石油化学製品の進出が続きます。美濃では日用品を主とした素材を中心に生産していたため、これらの打撃はとても大きいものでした。昭和30年には1200戸あった生産者が、昭和60年には40戸に減ってしまいました。
「美濃和紙」と「本美濃紙」
「うだつをあげる」は美濃発の言葉
いっこうに地位や生活が向上しないことを、「うだつがあがらない」と言いますが、美濃市では「うだつがあがる」町並みを見ることができます。
「うだつ」は、屋根の両端を一段高くして火災の類焼を防ぐために造られた防火壁のことで、裕福な家しか「うだつ」を作ることができませんでした。
このため、「うだつがあがる/うだつがあがらない」という言葉ができたと言われています。
江戸時代は関東一円に見られた「うだつ」ですが、いまではほとんど見ることができません。美濃市では「うだつ」をあげた商家が19棟も残っており、これだけ集中して見られるのは美濃市だけです。
江戸時代は関東一円に見られた「うだつ」ですが、いまではほとんど見ることができません。美濃市では「うだつ」をあげた商家が19棟も残っており、これだけ集中して見られるのは美濃市だけです。
国の重要文化財に指定されている小坂家などでは、美しく壮観なうだつを見る事ができます。
「手漉き」と「機械抄き」
同じ「和紙」と呼ばれるものでも、「手漉き」と「機械抄き」があります。ここでは、2つの違いについてご説明します。
「手漉き」
「手漉き」は伝統的な「流し漉き」「溜め漉き」の技法を使用し、職人が一枚一枚丁寧に漉いています。仕上がった紙には四方に手漉きの特徴である「耳」ができます。また、職人の手作りであるので、一点としてまったく同じものは存在しません。
手漉きの技法には大きく分けて「流し漉き」と「溜め漉き」があります。「流し漉き」は日本独特の技法で、靱皮繊維(雁皮・三椏・楮など)の紙料にネリ(植物性粘液)を混ぜ、簀桁ですくい上げ、全体を揺り動かしながら紙層をつくり、簀桁を傾けて余分な紙料を流しながら漉きます。繊維が絡み合うので、横にも縦にも破れにくい紙ができます。
「溜め漉き」は中国古来の紙漉きの技法。日本独自の流し漉きと違い、ネリを用いず一枚ごとに簀桁の中の水を簾の間から自然に落として漉き上げるので、「機械抄き」では製造できない厚さのある紙を造ることができます。証券や賞状などに用いられる局紙は溜め漉きで漉かれています。
和紙の原料
和紙の原料は、楮(こうぞ)、三椏(みつまた)、雁皮(がんぴ)の三つの原料を主とし、紙漉きにかかせないトロロアオイから作られるネリ(粘液)を加えます。ここでは、和紙の原料を詳しく見てみましょう。
楮(こうぞ) クワ科
三椏(みつまた) ジンチョウゲ科
雁皮(がんぴ) ジンチョウゲ科
和紙ができるまで
1.刈りとり
3.皮剥ぎ
蒸し上がった楮を、温かいうちに手早く皮を剥ぎます。剥いだ皮は、束ねて竿などにかけて一度乾燥させます。
4.外皮(あらかわ)とり
乾燥させた楮の皮を水に浸して再び柔らかくし、さらに皮の表面を覆う黒い皮(外皮)を、たぐり鎌というナイフ状のもので一本一本削り取っていき、和紙の原料として用いる白い皮部分(内皮)のみにします。それを、日光にさらして再度乾燥させます。 現在はここまでの作業を楮業者が行い、原料として紙漉職人のもとに納入されることが多いそうです。
5.水浸け
6.煮熟(しゃじゅく)
水に浸け柔らかくした内皮を沸き上がる大きな釜に入れ灰汁(あく)で皮に含まれる繊維同士をつないでいる成分を1時間半~2時間ほど煮溶かします。
灰汁は、昔はもみ殻や稲わらなどの灰を使っていましたが、現在は石灰やソーダ灰などのアルカリ性煮熟剤を用いることが多いそうです。
灰汁は、昔はもみ殻や稲わらなどの灰を使っていましたが、現在は石灰やソーダ灰などのアルカリ性煮熟剤を用いることが多いそうです。
◎本美濃紙の場合
美濃では草木灰またはソーダ灰を使用。
美濃では草木灰またはソーダ灰を使用。
7.ちり取り
8.叩解(こうかい)
9.紙漉き(かみすき)
10.脱水
紙に含まれている水分を抜くため、紙床板ごと紙床を圧搾機(おしば)に載せ、板を上から被せて挟み込んだのち、重石やジャッキなどで圧力を加えることで押ししぼっていきます。
暮らしの中の和紙
暮らしを支える日常品。そして、大切な時間をさらに特別にするものとして、和紙は私たちの生活に寄り添っています。他のどんな素材より、温もりを伝える和紙でできた品々をご覧下さい。